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プロローグ

~イタリア/シチリア島沖~
1994年 7月10日

落ち着かない。
手足の震えが止まらない。生きている心地すらしない。
立っているのがやっとだ。
上陸用舟艇の、ぐらぐらとした揺れすら感じなくなっていた。
私は今日、ここで死ぬのか?
もう本土へは帰れないのだろうか?
様々な不安が頭をよぎる。
その時、操舵者の方から声が聞こえた。
「お前ら、降りる準備だ!こりゃ手間取りそうだな。」
皆が一斉に動き出す。
だが私は動かなかった。いや、動けなかったのだ。不安と“死”という恐怖に駆られて。
「おいテイラー、ぐずぐずしてると真っ先に殺されるぞ!ここは戦場だ!」
震えながらコクッと頷き、銃を構え、ヘルメットを被り直す。
私は空を見上げた。空は未だ暗い。夜明けはまだまだのようだ。早く夜が明けてほしい。
早くこの悪夢が終わってほしい。そう思った。
私は目を細めて遠くを見た。薄らとイギリス軍空挺部隊が見える。
無数のパラシュートが空を舞っている。少なくとも数百はいるだろう。
そう、もう戦争は始まっているのだ。いわゆる“ハスキー作戦”である。

気付けば前方の舟艇の集団が岸に着き、兵士が一斉に上陸していた。
パットン中将率いるアメリカ欧州陸軍部隊第7軍の上陸作戦が始まったのだ。
銃弾が雨のように飛び交っている。私は心の準備をするために深呼吸をした。
だがそのような間も無く、私が乗る舟艇も着いてしまった。
ハッチが開き、一斉に兵士たちが降りる。
私も後に続いたが、目の前にいた数名がマシンガンに撃たれた。
私はすぐさま物陰に隠れたが、分隊長が私に向かって叫ぶ。
「テイラー、ぐずぐずするな!そんなとこにいてもママには会えないぞ!」
未だ心の準備ができていない。こんなことでは殺されてしまう。
とにかく私は同じ分隊の方へかがみながら走って行く。
照明弾の光が、横たわり動くことのない兵士たちを照らし出す。
「いいか、我々第7軍歩兵師団はこのまま北上し、敵を掃討しつつパレルモへと向かう!」

それから数時間、私たちは慎重に前へ前へと進み、パレルモを目指した。
「テイラー、俺達生きて帰れると思うか?」
「帰れるさ。棺に入って。」
「おい止せよ、そんなの帰れないのと一緒だ。俺は生きて帰りたい。
娘がいるんだ。ほら見ろよ。」
それは一枚の小さな写真だった。
「右に写ってるのが娘だ。名前はキャシー。その写真の頃は5歳だった。
でも今では10歳だよ。分かるだろう?だから帰りたい。生きて帰りたい。」
「左は妻か?」
「ああ」
「美人だな。」
「そうだろ。リタ・ヘイワース似だ。けど妻の方が上だぜ。」
私は微笑んだ。だがそれも直ぐに引きつった顔に戻った。
ここは戦場だ。笑えるはずがない。今にも敵が出てくるかもしれないのだから。
「なあ、見ろよ、向こうを。いまにも出来が出てきそうだ。
そうだ、俺はパーカー。衛生兵だ。」
「見ればわかるよ。」
「見たところ、新兵だな?いいか、絶対に俺の世話になるんじゃないぞ。意味はわかるな?」
「ああ。」
私たちは民家の左側を進んでいた。敵にとって潜み、私たちを狙撃するには最適の場所だろう。
だが、民家の間を1師団もの大群が進んでいたので、あそこに敵がいればあっちでやっつけてくれるだろうと思っていた。

その時、前方から耳をつんざくような爆風に続き銃声が聞こえ、最前線にいた分隊の内何名かが吹っ飛び、
残りの数名がその場で倒れた。
「待ち伏せだ!」
小隊長が叫ぶ。それに続き偵察兵が叫んだ。
「2時の方向、狙撃兵!」
皆が一斉に動き出し、戦闘隊形になった。
「1か所にかたまるな。そこを狙われるぞ!」
「待ち伏せされてたんだ。これだと包囲されるぞ!」
近くにいた兵士が吐き捨てるように言った。
兵士は皆、当てもなく撃っているようだった。
敵が見えない。何処にいる?
「敵は何処です!」
私はとにかく叫んだ。私は恐らく、敵を撃つために言ったのではなく隠れるため、
逃げるために言ったのだろう。
「9時の方向、敵歩兵隊!」
くそ。
やはり包囲された。
「応援を要請しろ!」
「向こうも奇襲を喰らっているようです!」
私はもう“終わった”と思った。
「第3分隊!もっと前に出ろ!」

その時だった。遠くから叫び声が聞こえた。
「テイラー、伏せろ!」
はっきり聞いたわけではないが、たぶんこう言っていたのだろう。
と同時に私は吹き飛ばされた。
何もかもが真っ赤に見え、体中に痛みが走り、酷く耳鳴りがする。
次第に目の前が暗くなっていく。
近くで誰かが叫んでいる。
「衛生兵!衛生兵!衛生兵...」


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